イヴとナナの終わりのお話を綴ることは、私にとって容易なことではありません。
イヴとナナと共に、ずっとずっと一緒に暮らしていきたいと思っていました。
でも、「終わり」はやってきました。
ふかふかした毛の感触、びゅんびゅん回るシッポ、ぺろぺろ舐めてくれる舌、低く太く深みのある声、優しい目、匂い、そのどれもが過去のものになりました。
イヴとナナが、どれほどに私達を幸福にし、生活を豊かにしてくれたかを文章に表現することは難しいことです。
愛情をストレートに表現する彼女達に、私達家族も負けないほどに受け止め、返したと信じています。
ですから、多くのラブの飼い主さんたちへ、いえ、すべての愛犬家へ、イヴとナナの終わりのお話をしたいと思います。


イヴのこと
犬を飼うと決めた時に読んだ本では、大型犬の寿命はほぼ10年足らずのものだったと記憶しています。
ですから、イヴが10歳に近づいたあたりから、心の底でずっと不安を抱えてました。
それを一年、一年と年を重ね、イヴは幾度も誕生日のケーキを食べてくれました。
2006年、3月15日、16歳の誕生日を祝いました。
この日までイヴが一緒にいてくれたことは、私達の大きな喜びでした。
決して健康で心配なく真っ直ぐにここまで来たわけではありません。
幾度、肝をつぶすほどの心配をしたことでしょう。
足に出来た脂肪腫は、もしかしたら切断するほどの悪性だったかもしれません。
耳血腫でも痛々しいほどの手術を受け、子宮膿腫では晩年の子宮摘出をしたりしました。
病院に縁のある、体が決して強い子ではありませんでした。
しかし、家の中で共に暮らし、体の状態を知ることができたことが、イヴの長生きの結果だったのかも知れないと思うのです。

2006年の春はゆっくりと過ぎてゆき、梅雨の季節になりました。
このころはまだ、イヴはゆったりとぽちぽちと散歩をしました。
ナナも辛抱強く、イヴのペースに合わせてくれました。
6月、イヴの散歩は終わりました。
この前後から、痴呆が少しずつ、イヴに訪れ始めたのです。
ある日、1偕にいるはずのイヴの姿が見えません。
おトイレに使っている勝手口のデッキに行くとイヴが下へ降りて、グルグル回って歩いていました。
雨の中、ぐっしょりと濡れて、呆然と歩いているのです。
私はイヴを抱いて、デッキに続くステップへと導こうとしました。
しかし、濡れそぼってぐったりとしているイヴは私の力ではどうしようもなく、私はイヴを抱いたまま苦しんでいました。
そこに、ひょっこりと会社にいるはずの夫がこちらを覗いて立っているのです。
私とイヴの姿がおかしく思えたのでしょう、笑って何をしているのかと問いました。
笑い事じゃない、助けてと、言う私。
この頃から、イヴの介護が始まったように思います。

梅雨がもうすぐ明けようとする7月15日から介護日誌が始まります。
自身で行けなくなったトイレの日誌です。
おしっことうんちの時間を記しました。
大体のスパンでトイレをさせるようにするためです。
1偕の居間はほぼイヴの介護室兼用になりました。
四角いベッドにはペットシーツと低反発のクッションを置きました。
イヴが排泄する度、体の向きを変えて寝かせました。

毎年の夏休みを宮崎で過ごす甥も、またその両親も、一緒の暑い夏をむかえました。
若さの真っ盛りの時、限りなく40キロに近かったイヴの体重は、段々に体力を失って、ついに20キロ代にまでの軽さになっていました。
排泄時など、私が馬鹿力を発揮してイヴを抱えることが出来るほどでした。
それでも、大型犬、支えるのは大変でした。
市販の介護用のハーネスを買ったものの、どれもしっくりはいきませんでした。
結局、自分で考案したハーネスを手作りし、これはどれほどの役にたったことでしょうか。
このハーネスがなかったら、2ヶ月あまりの間、私達はイヴを排泄させることが難しかったと思います。
8月末、甥が夏休みを終え、帰京しました。

9月の声を聞きました。
イヴが段々辛くなって来ました。
私達も辛く悲しくなってきました。
そして、12日。
主治医の藤吉先生たちが往診してくれた、その夜、イヴは逝きました。
11時丁度きっかりのことでした。
イヴの目がうつろになり、夫と私の問いかけに、もはや反応しませんでした。
私は「イヴ、おっきして!おっきして!」とつぶやくように繰り返していました。
自分の声が未だに記憶に残っているのは辛いものです。
毛布を掛けていたせいでしょうか、翌朝までイヴは温かさを少し保っていました。
でも、もう私たちのイヴはいません。
見ると辛く、そして大事な亡がらを、私たちはECOクリーンセンターで、焼却してもらいました。
スタッフの誠実な対応には、心が慰められました。
藤吉先生に、毛を取って置くといいよと言われ、私はイヴの毛を銀色のきれいな小箱に入れています。
骨は玄関の花壇の中。
小さなハート型の石を飾りに、イヴは眠っています。

友人の温かな心遣いを、私たちはたくさん頂戴しました。
みなさん、ほんとにありがとう。

ナナのこと

ナナはいつもやんちゃで活溌な娘でした。
ナナの枕はイヴのお尻です。
私たち家族の誰よりも、彼女が一番に好きなのはイヴでした。

犬は家族の中の位置を気にします。
私はイヴを1番、ナナを2番に置きました。
そうして、平和な時を長く過ごす事ができたのです。
けれどいつからか、それは不公平な事になってきたようでした。
イヴは老い、ナナは若かったのです。
ナナは時折、不平を示しつつも、イヴを最後まで立ててくれました。
最愛の母だったからでしょうか。

その最愛の母、イヴを亡くしてしまいます。
生まれてから離れることなどなかったのに。
ナナの側には必ずイヴがいました。
それはナナにとって当たり前のことでした。

イヴが逝ってしまってからは、ナナは2番の犬ではなくなりました。
1番の犬です。

ところが、元気いっぱいで、あんなに若かったナナは一人になってから不思議なくらいみるみるうちに衰えていきました。
あっという間だったように感じます。
ナナにとっても心の中心にいるのはイヴだったのでしょうか。
もの言わぬナナの嘆きは体に表れてきました。

2006年はとりあえず、健康に過ごすことができました。
この一年は私たちとナナにとって、密度が高い日々を過ごせたと思います。
なにしろ一心にイヴの分も重ねてナナを愛することが出来たのです。
可愛くて、可愛くてたまりませんでした。
ナナの存在は癒しそのものでした。
イヴの喪失感をナナは十分に補ってくれたのです。

2007年、夏くらいから、うんちの状態が悪くなります。
秋は一進一退を繰り返すことになりました。
足の状態も悪くなりました。
後ろ足を引きずって歩くのです。
ネットで買ったブーツをは履かせると、散歩が楽になったようでした。
格段に歩く様子が違いました。

11月12日、ナナは15歳になりました。
この日を待ち望んだ誕生日でした。

しかし、確実に腸の具合が悪くなっていきました。
黒い軟便をするようになり、時々だったのが、頻繁になりました。
辛い冬でした。
世間がせわしなく年末へと入っていく中、ナナは嘔吐や下痢を伴い苦しんでいました。
年内持つだろうかと、主治医と話し合ったりもしました。
それでもナナは頑張り、正月を迎えることができました。
しかし、ナナの状態は更に重く、松の内が明けた頃から点滴や抗生剤の注射を始めました。
何度か往診を頼んだこともありました。

そして、1月20日。
ナナは夕方の5時、そっと息を引き取りました。
この家で生まれ、この家で死んで行きました。
ありがとう、ナナ。
ナナ!一番の犬だったよ。
ナナはイヴの横に並んで眠っています。
ハート型の石は二つになって仲良く並び、花壇の中から、家の出入りをする私たちを見送り、迎えてくれます。



最後に老犬の介護のお話をしたいと思います。
イヴとナナの一生を見ますと、12歳くらいまでは、幾度かの病気や怪我等の山はあるでしょうが、元気に過ごせると思います。
13、14歳も特別のことがなければ、大丈夫です。
元気な犬にとっては、この前後からが、介護の期間に入って行くのではないのでしょうか。
どうか、幸せな犬の終りを見届ける為にも、パパとママ達に頑張って頂きたいと切に願います。
私は老犬だからと言って、散歩に連れて行くのを止めませんでした。
家にこもってばかりいたら、どうでしょう?
人間でも、変化の無い毎日は生きる興味を奪うと信じます。
空を仰ぎ、地を踏みしめ、緑に生を喜び、時に移ろいを感じる。
そんな毎日にこそ、生きる楽しみがあると思います。
車に重いイヴのお尻をよいしょと抱きながら乗せる、
ナナのしなやかな体をひょいと弾みをつけて乗せる。
そんな毎日のドライブと散歩でした。 いよいよ散歩も出来なくなった介護は、家の中のインテリアを少し変えました。
いつも一緒に長くいる部屋、つまり居間が介護室兼用です。
状態の変化がすぐに解ります。
汚れてもすぐに拭く事の出来るベッドを通販で購入しました。
そこにペットシーツを何枚か敷きました。
イヴの場合は低反発のクッションを置いて、床ずれ予防にしました。
排せつに外へ動かす度に、体の向きを変えるようにもしました。
イヴとナナのどちらも床ずれを作らなかったことは、私の小さな自慢です。
ナナの場合は下痢と嘔吐に悩まされたので、体を清潔に保つようにしました。
うんちの汚れを、濡れた布やウェットティッシュで拭くだけではきれいになりません。
泡で出てくるタイプの幼児用ボディーシャンプーを汚れた毛に掛けます。
それからウェットティッシュでゴシゴシ拭くと、楽に汚れが落とせました。
使い古しのタオルや下着は小さく切って、使い捨ての体拭きにしました。
愛しく愛しくイヴやナナを撫でて、そして彼女達は去りました。
介護は生の終末ですから、辛いものですが、何か言い表せない愛情を貰うことも出来ると思います。
みなさん、頑張ってください。頑張りましょう。