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猫:その1
不思議なことに12時過ぎくらいになると、猫の合唱が始まります。
それに応えるように、今度は近所の犬たちの合唱。
我が家のイヴ・ナナも即座に警戒態勢。
外の大合唱と内なる大合唱は迫力満点。
主人は閉口して、別の部屋で寝ることになるのです。
猫:その2
うるさい。
猫たちの大合唱は12時過ぎと決まっています。
あの悲鳴ともつかないような鳴き声・・・・。
苦痛を感じるってことは、やっぱり私は犬派なんでしょうか。
猫:その3
久しぶりの夜の町。
なぜかやたらと猫を目にします。
ほとんどが哀れを誘う猫ばかり。
そっとすくい取って我が家にお持ち帰り。
そんな気分をやっと抑える夜でした。
再会
最近、暑くなってきたせいもあって、夜の散歩に切り替えています。
するとね、昼には会えなかった人たちと、久しぶりに会うことが出来ます。
寒い季節になると、これがまた逆になるのです。 そして名も知らぬ彼らと、今日も挨拶を交わします。
叔母の心配
夏になると、暑いのが苦手なイヴはヨタヨタ歩きになります。
イヴが10歳のせいでしょうか、叔母は散歩の時に、しきりと気を遣ってくれます。
帰宅すると、叔母はナナを待たせて、イヴに先に水を飲ませようと必死の構えです。
水も飲まず、ドテっと転がったイヴの姿に、叔母の心配は頂点に達します。
ところが冷蔵庫を開けると、機敏に立ち上がり一目散にダッシュです。 叔母の心配って何でしょう。
象の時間、ネズミの時間?人の時間、犬の時間?
数年前に、「象の時間、ネズミの時間」と言う本がヒットした。
象とネズミでは時間がちがう。
私たちが通過する時間は、生き物の大きさにより違いがあるのだと言う。
この概念に似た小説があった。
「竜の卵」だ。
原始的で、しかも目に見えないほどの生物が、
人間が瞬きする時間に莫大な進歩を遂げるというSF小説だ。
私たちが認識している時間の流れとは別に、
動物の大きさの違いによっても世界感は変わるのだろう。
私がともに生活しているイヴとナナ。
彼女たちの時間と私の時間。
折り合いを付け、ともに共存し、理解と愛を共有したい。
記念日
イヴとナナの一歳の誕生日を思い出してみました。
とても大切だったはずなのに、どうしても思い出せません。
それよりも、ちょっとした一瞬一瞬の記憶の方がフラッシュバックするのです。
イヴとナナの嬉しい顔・悲しい顔・怒った顔・困った顔・・・。
私がそれぞれに笑ったこと、泣いたこと、怒ったこと、大変だったこと・・・。
死者への花束
散歩の途中、ある交差点に、決まって豪華な花束が置かれている場所があります。
詳細は忘れましたが、新聞にてこの事故を知ったように思います。
この場所で自転車に乗った方が亡くなったのでした。
数ヶ月を隔てた今も、うだるような夏となった今も、花束が絶えることはありません。
イヴとナナを信号待ちさせる時、そっと花束に目を向けます。
置かれている花束から、家族の継続する悲しみを感じます。